高橋久美子の旅のメモ帳vol.11 「富山県、立山連峰の紅葉狩り」
作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さんが、旅先でとったメモを起点に心にとまった風景を綴る連載エッセイ。11月3日に富山で開催される「立山農芸祭22」。昨年出演された高橋さんが、友人に連れられて訪れた立山連峰で感じたこととは。
昨年の秋、友人が主催の「立山農芸祭」という野外ライブに出演するため、富山県を訪れた。感染症の拡大でミュージシャンたちもじっとするしかない期間が長く続いていて、ようやく少しずつイベントが開催されるようになった頃だった。
駅の改札口に一人、また一人と仲間が集まって、思わず泣きそうになったことを覚えている。
その日から数日、気のおけない仲間と、主催者である友人のアトリエに泊めてもらうことになった。友人はこの町で「巣巣」という生活雑貨のお店をしている。元々、巣巣は東京にあった。それはそれは素敵なお店だったし、私を含め、創作活動をするさまざまな人達の巣のような場所でもあった。巣巣が移転することになったときは、東京の実家がなくなるようで寂しかったけれど、それ以上に彼女が惹かれて移住する富山という土地に惹かれた。
10年前バンドをしていた頃、ツアーで富山に来ると、“富山ブラック”なる真っ黒いラーメンを食べ、城跡に行ったりするくらいで、観光らしい観光をしてなかったのだと改めて気づいた。随分と開発が進んで駅前には立派なホテルが建とうとしていたけれど、変わらず市内電車が走る富山の街は、地元の松山とも似た穏やかで暮らしやすそうな土地だった。
友人の車で移動していると、市内の何ヶ所かで「きときと」の看板を目にする。「新鮮な」という意味らしい。きときとのお寿司、きときとのお魚、と使うのかな。
「可愛らしい方言だねえ」
「きときとが良かった? でも、今夜は日本酒と鱒寿司よ」
「わー、鱒寿司も大好きだよ」
なんて話していたら、目の前にドーンと北アルプスが現れた。
「私、立山連峰に雪が積もっているところを見て、この山に向かって毎日走りたいなと思ったのよ」
と友人が運転しながら言った。巣巣は立山にあるが、山に向かって走りたいから住まいは市内にしたのだそうだ。山々の峰がどこまでも連なって街を守る壁のようだ。確かに、見ているだけでふつふつと力が湧いてくる。
市内を抜け、次第に山は視界に収まりきらない大きさになっていく。建物がなくなり、あるのは田んぼの真ん中に立った共同の農機具倉庫だけだ。実家が農家なので、田舎にくると田畑ばかりみてしまう。
立山も相当な農業大国とみた。稲を刈り取った田に日光が当たって山の裾野まで白く光っている。ああ、いいところに移住したんだな。川のせせらぎ、澄んだ空気、集落の家々の庭には防風林の杉の木が雑木林のように天高くそびえている。こういうのも、四国では見ない風景だ。新しい巣巣は、周囲を小川に囲まれた一軒家で、もうずっとここにあったように町に馴染んでいた。一歩中に入ると、やっぱり私達の巣巣だし、呼吸の合う居心地の良さがある。裏庭に柿の木があって、脚立を出してみんなで必死に柿を獲ったり、友人の育てている立派なトマトを食べたりして、笑い声とともに長い一日が暮れていく。
翌日の早朝、町内放送が入る。何を言っているのか分からなくて友人に尋ねると、「早朝、熊がでることがあるので注意しましょう」く、くま……。
朝、周辺を散歩していて熊にばったり出くわすことがあるみたい。近所のおじさん談によると、熊は塩分を欲して、夜の間に20キロ以上離れた山から海を目指すんだとか。ところが、帰り着かぬまま太陽が出てしまって「え!ここどこ!」とパニックになるというのだ。熊の気持ちを想像すると気の毒だ。観光で来ることと住むのでは違うし、同じ県内でも市内に住むのと山際や海沿いに住むのでも全然違うよなと、考えたりしたのだった。
称名滝(しょうみょうだき)に紅葉を見に行こうと友人が言った。東京で桜を見に行くことはあっても、紅葉を楽しむことはなかった。友達が来たとき案内できる山があるって、なんてかっこいいのだ。大学時代、毎日のように鳴門の海へ行っていたことを思い出す。
私達は彼女の車に乗って、立山連峰へと続く曲がりくねった道をひた走った。私は早々に酔ってふらふらになって、それも相まってか、どんどんと山の中に吸い込まれていくような感覚になる。コートを着ていても窓を開けるとひんやりと寒くなってきて、さっきまで緑色だった木々が次第に赤や黄色になっていく。この道を切り開いた昔の人たちはすごいな、車に乗せてもらいながら酔ってしまう自分は本当に役立たずだな、などと思っていると、車が止まった。
「こっからは歩きだよ」
降りられることに、少しほっとする。鼻の奥がスンと痛くなるように冷えて、奥へ奥へと足を踏み入れる。アスファルトはじき土に変わり、むき出しの自然だけが横たわっている。綺麗というより、私はもう恐ろしい。山だと思って見ていたのは私達の方だけで、山はちっとも山ではなかった。木の一本一本、地層の積み重なりの一層一層まで生きている。全部私の目の前にあって触れられる。逃げられない。いつかの誰かが、この命の集まりを山と名付けたのかもしれない。何千年、ここで山は生み出し続けている。
気がつけば私は山の一部になっていた。立山信仰と呼ばれるのもわかるほどに、神々しく自分が無になっていくようだった。
「私も一本の木と同じ」とメモをした。滝の前に立つ自分たちは木の一本と同じ存在だった。けれど、木はよく見るとそれぞれに紅葉の仕方がまちまちで、色も形も背丈も少しずつ違っている。うん、自然も社会もそういうことなんだよな、と勝手に納得して、今朝の熊の放送を思い出しドキドキしながら夕暮れの山を下った。
その日の夜、きときとのお魚をいただくため市内を散策した。山もすごいが「富山市立図書館」もすごかった。図書館だけでなく、カフェやショップ、美術館も一緒になった「TOYAMAキラリ」という複合施設は、本当にきらりだった。吹き抜けのエスカレーターに、天井のガラスの装飾が近未来的にきらきら輝いて山の紅葉とはまた違った好奇心に満ちていく。図書館自体が美術館のようだ。図書に関連した展示室もおもしろく、もし移住するなら、立山連山の麓に住むかこの図書館の近くに住むかで私も迷うことになりそうだな。昭和の北国の雰囲気と城下町風情のある富山市内もまた魅惑的だった。
立山の河川に興味が出て、しばらく図書館で勉強し、何冊かを友人に借りてもらった。夜、友人のアトリエで河川の本を読み、熊が迷わずに山に帰れますようにと思いながら眠りについた。
翌日、立山を臨みながら、草原の真ん中で歌い、演奏した。地のものをいただき、土地の人と会話し、見事に晴れ渡った空のように、私は細胞の中から満たされた。
知らない街へ無計画に行くのも楽しいけれど、その地に住む友を訪ねる旅も好きだ。いや、旅と呼ぶには申し訳ないくらい、ありがたい。
感性の近い友人のアテンドだからこそ、凝縮した数日を過ごせた。なにより、この町で元気に過ごしている友に会えたことが一番嬉しかったことだ。
◆立山農芸祭22
開催日:2022年11月3日(木・祝日)
会場:白雪牧場 ※雨天時は「グリーンパル吉峰」にて
住所:立山町末谷口185